東京都大田区にあるまち工場│株式会社タシロイーエル

お電話でのお問い合わせはこちら│03-3734-7225
メールでのお問い合わせ

連載記事ARTICLE

トップページ > 連載記事 > 大田区町工場消滅の危機を考える

大田区町工場消滅の危機を考える

ツールエンジニアリング2015年10月号

この6月に仲間内の旋盤屋さんが廃業することになった。旋盤一筋50年、長年夫婦で頑張ってきた人柄のよい人でした。当社も難しい仕事をお願いしていたので残念でならない。

昨年の12月には、得意先の取引工場も廃業をした。当社と同じでロケット部品を、手掛けていた腕のいい町工場だった。ともに後継者がなく、やめるタイミングを計っていたところがある。大田区町工場は、バブル経済崩壊から厳しい環境が続いたなか、リーマンショックがあり、東日本大震災、民主党時代の超円高が、疲弊した町工場に大きな打撃を与えたといえる。特に超円高は日本の産業構造を変えてしまうインパクトがあったように感じる。安倍政権になり円安誘導が始まったが、海外に出て行った仕事はまだ戻っていない。

昨年12月に、大田区ものづくり産業等実態調査の結果が発表された。その調査によると、1983年をピークに減少基調が続いている。約1万社あった町工場が、平成26年には3481社に激減してしまった。平成20年の調査では4362件、6年で約1000件の町工場が消滅したことになる。急速にものづくり町工場が減少していることがわかる調査だった。

その調査によると、3人以下の町工場が約半数、49人が3割と零細企業が8割を占めている。後継者不足も深刻で3人以下の町工場の約8割、49人以下の町工場の約5割に跡継ぎがいない。先に述べたように高齢化して、廃業する町工場が今後も増え続けることは確実と言える。受注形態をみると、下請加工型・生産の町工場が7割強、自社製品開発・設計型が15%程度と圧倒的に下請型町工場が多くある。下請加工型・生産の町工場は特定の得意先への依存度が高く、設備投資も減少しており継続の危機がここでもうかがえる。これに対して自社製品を持っている町工場は、事業展開に積極的で取引を拡大していることが数字的にも明らかになった。この調査の唯一の希望の光と言える。

大田区には、以前から仲間回しというネットワークが存在する。自社でできない加工を水平的ネットワークで一つの部品を完成させている。ねじ一本作るのにも、何種類もの機械が必要になることがある。たとえば、材料の切断-NC旋盤-マシニングセンタ-真空焼き入れ-研磨-表面処理、ここまでで6種類の機械を使用して製造することになる。

自動車一台の部品点数は約3万点、H2Aロケットの部品は約100万点、航空機の部品は約300万点と言われている。自動車1台を作るにも、試作の時に必要な機械、量産時に必要な機械も違ってくる。大きさも数ミリの小さな部品から、数メートルもある大きなものまで、金属もあれは、樹脂、ゴム等もある。金属には膨大な種類があり、硬さも様々である。大きさ、材質、加工方法等により使用する機械は変わる。自動車部品の種類は、4000点~6000点と言われている。自動車を完成させるには、数千種類の機械が必要になると推測される。どんな製品を作るにも、部品の種類と同じくらいの機械が必要になるのではないだろうか。町工場は、旋盤専門、フライス専門、研磨専門、焼入れ専門、表面処理専門等と細分化されている。もっと細かく言えば、焼入れにも真空焼き入れ、浸炭焼入れ、窒化、高周波焼入れ等、すべて機械が変わり同じ会社でできることはない。どの町工場でも、自社で加工できる工程は限られている。自社でできないものを、仲間に依頼して図面通りに完成させる、これが仲間回しと言われる所以である。今回の調査によって、大田区町工場の強みである仲間ネットワークが、弱まっていると感じている企業が多くあり懸念されていた。

当社でも、現実に困ったことが起きている。20年以上続いている部品がある。その部品を加工するためには特殊なリーマが必要になる。10年くらい前までは、大田区の業者にお願いしていたが突然作れなくなったと言われた。方々探し回り、やっと新潟の加工屋さんが作ってくれるようになった。ところが、そこも職人が辞めて廃業した連絡が入った。現在、改めて探し回っているところである。この仲間ネットワークの維持・復活が大田区町工場の活性化のカギになると思う。

表題に大田区町工場消滅の危機と書いたが、特に、職人親方、職人社長と言われている零細町工場が危機的状態と考えられる。この職人社長と呼ばれている人は、ものづくりに関して非常に、高い能力を持っている。以前紹介した第一研磨工業の斉藤社長もその一人である。売り上げの6割~8割は斉藤社長が稼ぎ出す。同じような機械を使用しても、圧倒的にスピードも品質も違ってしまうのだ。それほど職人社長と、一般の職人とに腕の差があるのだ。510名くらいの町工場は、職人社長が売り上げの半分以上を稼いでいる例はかなり多くあると思う。職人社長は、顧客との打ち合わせ、手配から加工納品まで一人でこなす場合が多くある。いくら能力があるといっても限界があり、後継者育成が難しいという欠点がある。育成するには時間と手間と費用がかかる、その手間をかければ単価に反映する、また、売り上げが落ちたり、納期に間に合わなくなったりすることになる。日々、社員や家族の生活を、見なければならない立場では、どうしても人材育成が後回しになってしまう。後継者不足を招いてしまうことは、致し方ないことと言えるだろう。もし、大田区町工場がなくなったらどうなるだろうか。まず、新製品の開発競争力が著しく低下することは明らかである。町工場が専門職に特化することで安価で、高品質な部品を短納期で供給できていたのだ。どんな大手メーカーでも、自社だけで、すべてを賄うことは不可能なことは明白である。大田区町工場は日本の貴重な宝ではないかと思う。日本がこれだけ豊かになったのは、製造業の頑張りで輸出を増やし外貨を稼いだからと言える。その下支えを町工場がしてきたことは確かだ。製造業はもう古い、製造業に代わる産業を興さなければ、という意見を耳にすることがあるが、変わる産業を作るのは、製造業を復活させるより難しいのではないだろうか。大きく言えば製造業は国力と言える。エネルギーも防衛も、ものづくりが大きくかかわっている。

町工場の減少傾向はこれからも続いていくだろう。10年後には、残った町工場の取り合いになることも考えられる。当社は、難しい加工を長期で供給できる会社を目指している。幸い22歳の長男と23歳の長女と一緒に働いている。従業員も若い人が多く日々仕事を通して研鑽に努めている。時代の流れは恣意的に操作できるものではない、個人が押しとどめることなど不可能である。しかし、その時流は決して永続的ではないだろう。ひょっとした拍子に新しい時流に代わることがある。バブル経済崩壊から20数年、厳しい経済環境ではあるが、勇気を振り絞り若い世代にものづくりを伝えていきたいと思う。

ツールエンジニアリング2015年10月号