東京都大田区のまち工場|株式会社タシロイーエル
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連載記事ARTICLE
ツールエンジニア2017年11月号

技能は人に宿る、技術は会社に付く

技術と技能の違いは、伝達方法、伝達速度にあるといわれている。技術は、文書化、数値化、図面化などの視覚化ができるため多数の人に、瞬時の伝達ができる。技能は、人の能力と密接にかかわり、見ることができないため人から人にしか伝達できない。
これは仏教での師匠と弟子が一緒に生活する中で、悟りや真理が受け継がれていく面授に似ていると思う。技能も先輩と後輩が一緒に働く中でしか受け継ぐことができない。
伝達時間は数年から数十年になることもある。そして、技能を持ってる人がいなくなるとその技能は消滅する。当社にも毎年のように、職人が辞めたためできなくなったという仕事の引き合いが何件もある。技能はスポーツに近いように感じる。例えば、ゴルフを本やビデオで学んでもそれだけではまっすぐ飛ばすことはできないはずだ。何千発、何万発も球を打つ練習をして、初めてまっすぐ飛ばせるコツをつかめるのではないだろうか。

子供のころ親から将来は、手に職を付けた方がいいと何回となく言われた。
これは私だけではなく、多くの人が経験しているのではないだろうか。手に職を付けるとは、専門的な職務能力を身に付けるというだけでなく、同じ専門職の中でも、他の人ではできない難しい仕事ができるレベルまで達して、初めて手に職が付いたといえる。このレベルの職務能力がある人は希少価値があり、企業が手放したがらないため雇用も安定する。また、職業によっては独立も可能であろう。

われわれ町工場では、技能は人に宿ると言われている。技能は会社のものにはならないのだ。当社では、技能の見える化の一環として、国家検定・機械検査の取得を推進している。企業がいくら支援しても、技能検定の資格は個人のものになる。退職すれば次の就活で、履歴書に明記することができる。技能は個人に宿る、良い事例と思う。

最近の若い人は、マニュアルをほしがることが多いように思う。解らないことをなくして、仕事をしたいという思いが強すぎるようである。いい意味でのいい加減さが少なく、まじめすぎる傾向があるように感じている。マニュアルをほしがる人に、マニュアルがあると君の存在価値がなくなるよ、と話すことにしている。
コンビニやファーストフード店、量産品の生産ラインなどマニュアルが存在する職業は、多くの人がこなせる職業といえる。変わりはいくらでもいるということである。このような職業は、何かあると真っ先に、解雇される可能性が高くなる。通常、賃金も高くない。リーマンショック時の派遣村に集まった、職を失った人たちは、手に職が付いていなかったといえると思う。
技能は学ぶものではなく、磨くものである。ましてや教えてもらうものではない。自ら、研鑽を積み、切磋琢磨して腕が磨かれ人格が磨かれ、職能が向上していくものだろう。磨いてこそ難しい仕事がこなせる職務能力が身に付くのだ。企業は、社員が向上する環境を提供することが責任になる。

当社には、89歳、77歳、73歳の職人が現役で活躍している。89歳は私の父で月~金毎日5時間くらい、旋盤の前に立ち精密部品を作っている。77歳の職人は60歳で当社に入社した。月~金毎日8時間働いている。69歳の時、マシニングセンタを使っていた社員が退職したのを契機に、自らマシニングセンタの担当になってくれた。彼は初めて、マシニングセンタを使って部品加工をすることになる。69歳の手習いである。その時社内には、マシニングセンタを使える人は一人もいなかった。誰にも教わることができない状態だったので、自ら、取説を読んで、わからないところはメーカーなどに、電話で聞いてマスタしていった。その姿を見て、ベテラン職人はすごいなと感動をしたことをいまだに忘れられない。73歳の職人は、機械の多台持ちも厭わないパワフルな山男だ。熟練職人と働いているとその姿から学ぶことが多い。ときに叱責を受け、ときに葛藤からお互いに向上していく。また、感動させられることも多々ある。

人生100年といわれる時代になってきたのに、年金制度は先細るばかり。これからの若い人は、政府に頼ることができなくなることが予想される。自ら自立していかなければ、老後の苦労が増すばかりとなってしまうだろう。ますます、手に職を付けることの必要性が高まる時代になりそうである。しかし、技能の大切さを社会は、まだまだ、理解していないようだ。
人生は手に職を付けるだけでは、幸福な人生を歩むことはできない。腕がよいのに、不幸な晩年を迎えた人を何人も知っている。ある人は、腕を自慢するあまりに横柄だったり、また、特殊な加工ができるため周囲からちやほやされ、天狗になったりと様々だ。家庭崩壊、破産など晩年に自分の力では、どうすることもできないようなことが起こり苦労して、亡くなってしまう人もいた。本物の職人になっていなかったともいえるが、心技体がそろわないと長い人生成功しないようである。

これからはAI技術が発達して、人間の職業が奪われることが予想されている。マスコミ報道によると、NC旋盤工もその中に入っているようだ。実際工作機メーカーではAIを使った工作機械の開発を始めている。しかし、恐れることはないと思っている。難切削材や複雑形状、試作品などは人の手による加工の方が優位になると考えられる。AIと真逆の実際に手を動かし、体を使って額に汗して、試行錯誤の苦労の末獲得する技能や技術が開発には欠かせないのではないだろうか。

早く技能の大切さが再確認される日が来なければ日本のモノづくりは競争力を失ってしまうだろう。国内を見ても、世界情勢を見ても一寸先は闇のようで閉塞感が漂っている。これからは、自立して人生を歩んでいかなければならない時代になった。技能の大切さが再評価されることを切に願うばかりである。