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連載記事ARTICLE
ツールエンジニアリング2014年6月号

武士道はどこに行った

ノブレスオブリージュという言葉がある、フランス語で『高貴なるものの義務』と訳されている。騎士道、紳士道にも通じると言われている。

5千円札になった新渡戸稲造の『武士道』では、ノブレスオブリージュを武士道と訳している。地位の高い人には、髙さに応じた義務や責任があるというわけだ。日露戦争の仲裁役として知られる故セオドア・ルーズベルト米国大統領は、新渡戸の『武士道』を読んで、日本の武士道の信奉者となったことで知られている。同時代に世界に向かって、初めて英文で日本の事を紹介した著書に、内村鑑三の『代表的日本人』がある。この中には、西郷隆盛、上杉鷹山、二宮尊徳、中江藤樹、日蓮上人を取り上げていた。当時、日露戦争の最中にあり、日本人の良さ正当性を発信した優れた著書だと思う。

昨年、米国の駐日大使として故ケネディ大統領の息女キャロライン・ケネディさんが就任した。父親である故ケネディ大統領は、上杉鷹山を政治家として尊敬しているという伝説があった。キャロライン・ケネディさんの来日で真実であることが報道されていた。欧米の多くの図書館には、内村鑑三の『代表的日本人』、新渡戸稲造の『武士道』、岡倉天心の『茶の本』が置いてある。

故ケネディ大統領もハーバード大学で、内村鑑三の代表的日本人を読んだのではないかと言われている。そこで上杉鷹山を知ったのだろう。

武士道を要約すると義の遂行者であり、正義を貫き通す人のことであると思う。人として正しい道を貫く人がサムライである。

武士道の道徳規範は、儒教の五常の徳『仁・義・礼・智・信』さらに、『忠・孝』合わせて七徳を基にしている。具体的にいうと、人には優しく、正直であれ、誠意を尽くす、長兄を敬う、恩に報いる、弱い者いじめはしない・うそをつかない・何事にも寛容である等々、良心の掟に従い、人として正しい道を歩んでいくことが武士道と言える。新渡戸稲造は侍の基本的精神を、『勇猛果敢なフェアプレイ精神』と言っている。もともと日本には、儒教の五常の徳と言われる道徳観は儒教伝来以前から備わっていたといわれている。儒教はそれを明文化したに過ぎない。日本人には儒教的、武士道的道徳観を受け入れる遺伝子が組み込まれているのである。

いつの時代でも、サムライ的な人、その反対の卑怯な人や拝金主義の人など様々な人がいる。当時の武士階級でも武士道の枠から外れるような卑怯な武士もたくさんいたと思う。武士道とは、武士階級のためのものではない。『代表的日本人』の五人の中にも農民の二宮尊徳、僧侶の日蓮、村の塾頭の中江藤樹の三名は武士階級ではないが選ばれている。サムライとは、武士道精神を貫く人を指すのである。

最近の世相を見るとサムライが少なくなったと感じる。特に国民を指導していかなければならない階層の人に、サムライ的矜持を持った人物がいないように感じる。学校でも、家庭でも武士道的道徳観を教えなくなってしまったからだろう。武士道などというと、何か古臭く封建的な匂いがすると思う人もいると思う。しかし、本当の武士道とは、決して古臭いことではなく普遍的な倫理観・道徳観であると思う。現在でも<あの人はサムライだ>と表現するときは褒め言葉として捉えられている。野球の日本代表を、サムライジャパンと表現していることでもよくわかる。日本人のサムライのイメージは、何事にも筋を通す・強者にも屈せず勇猛果敢にチャレンジする姿勢・投げ出さない責任感・不正を許さない正義感・弱者救済といった良いものであると思う。また、サムライの判断には私利私欲が入らないことが求められている。

武士道的倫理観・道徳観は日本の専売特許ではない。内村鑑三は、武士の生まれで武士道を教育されて育った。明治維新後の札幌農学校時代に、キリスト教と出会い始めは否定していたが、プロテスタントの教えが武士道と共通点が多いことから、キリスト教に帰依していったのである。フランスの騎士道、イギリスの紳士道にも共通点がある。共産圏・ソ連時代の小・中学校では、先生には敬意を払う、起立して迎えよ、礼儀正しい挨拶をせよ、年上のものを尊敬せよ、老人・幼児など弱い者には親切であれ、弟妹の面倒を見よ、両親を助けよ、などと教えていたという。ちょっと武士道に似ていると感じた。このように武士道的倫理観・道徳観は、世界中で通用する普遍的な価値観であると思う。

町工場のオヤジたちにも、サムライ的矜持を持った人たちがいる。理不尽な事や横車に対しては断固戦うという人を見かける。大手メーカーの発注担当者の卑怯な振る舞いに<二度とあなたのところの仕事はしない>といって本当に、そこの会社の仕事をしなくなったオヤジがいる。メーカーの部長が謝りに来たが取引再開はしなかった。また、困った人を見ると、手を差し伸べてくれる町工場のオヤジもいる。NC旋盤導入初期のころ機械をぶつけて困っていると、忙しい中駆けつけて修理してくれる先輩もいる。それも一回や二回ではない、いまだにわが社の若い職人を教えに来てくれる。NC導入前には、NCなど使ったことがない私を心配して、<機械が入るまでわが社で修業しろ>といってくれるオヤジもいた。半年間その会社で教えてもらった。バブル崩壊で仕事がなく困っていると一緒になって営業回りをしてくれたオヤジたちもいた。そんな熱い気持ちに支えられて今のわが社があると思っている。大田区は、武士道的な気概を持った町工場のオヤジたちがたくさんいる素晴らしい地域なのだ。