魅惑・日本のモノづくり① 日本刀
日本刀は、国宝に指定された物がたくさんある。日本の国宝1100点のうち一割の110点が日本刀である。陶磁器の国宝指定は、国内国外のもの合わせても、14点であることを見ると、日本刀の格の違いが判る。世界的に見ても、刀を美術品にするのは日本独自の文化の様である。最近、刀剣乱舞というゲームの影響もあってか“お刀女子” “刀剣女子”といわれる空前の大ブームがある。日本刀展覧会などにも、驚くほど多くの若い女性が集り活況である。女性特有の感性で、日本刀の本質・素晴らしさに気づいたのだろうか。美の鑑賞だけでなく、刀文化やその背景の物語を知ることが楽しいのだろう。
日本刀には、時代を超えて多くの人を、惹きつける多彩な魅力があると思う。日本刀は、日本が世界最高レベルの技術水準に達した、最初の製品であり、頂点を極めた工業製品ともいえる。室町時代には盛んに輸出されていた。
私は、日本刀は日本のモノづくりの原点と考えている。日本刀は武器としての機能性、美しさとしての美術性、守り神としての神性、そして、日本人の精神的象徴でもある。ただの強いだけの武器ではない、ただの美しいだけの美術品でもない、一振り、一振りに物語がある。
5月1日から新天皇が即位され、新時代・令和が始まった。テレビでも三種の神器が映し出されていた。八咫鏡(やたのかがみ)、八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)、草薙剣(くさなぎのつるぎ)を三種の神器といい、歴代天皇に皇位のしるしとして受け継がれている。そのなかの一つ、草薙剣はスサノオノミコトが、ヤマタノオロチを退治したとき、その体内から出てきたと神話で伝えられている。刀を取り出す、つくり出すことが王位の象徴となっているのだ。伊勢神宮の20年に一度の式年遷宮の時には、50本もの刀が御神宝として奉納される。日本刀は日本国の象徴ともいえる。
平安時代中頃、災害や疫病で庶民は苦しんでいた。ときの一条天皇は、魔ものを払い、国を守るための強い刀を作るように命じる。命を受けたのは、当時の名刀工・三条宗近である。その時作られたとされるのが、国宝指定されている『三日月宗近』である。
平安時代中頃、災害や疫病は、魔ものや怨念が原因と信じられていた。科学技術が未熟な時代、空が光り雷鳴がとどろき、時に木や建物に落ちる様は、魔ものと考えられても不思議ではない。名刀は、それら魔ものを一振りで祓い、家を守る力があると信仰の対象になっていた。
源氏と平氏の最終決戦の壇ノ浦の戦いで(1185年)、平氏がどんなに負けても安徳天皇を手放さなかったため、まだ6歳だった安徳天皇は、天皇の象徴である三種の神器と共に、海に沈んでいった。必死の捜索にもかかわらず、草薙剣だけ見つけることができなかった。
安徳天皇後の皇位を継いだ後鳥羽天皇は、三種の神器の一つ草薙剣がない即位となった。後に、そのことがコンプレックスのためか、鎌倉幕府からの政権奪取のためか、後鳥羽天皇は自ら刀を作るようになる。もちろん一人では作れないため、その当時の名工達と一緒に作っていた。天皇と一緒に作業するため、刀鍛冶職人に官位が与えられていた。この頃から日本刀は、貴き人が作るものというようになっていった。
戦国時代、織田信長は、桶狭間で今川義元を打ち取った。そのとき、義元の愛刀を戦利品として接収している。その刀は、信長の死後、秀吉、徳川家康とわたり天下人の象徴となった。銘は義元左文字といい重要文化財に指定されている。
日本刀は、優れた武器であると同時に、だれが見ても美しいという芸術性を持ち、精神のよりどころとなる神秘性が必要になる。このような神聖な日本刀を作るとなると、想像を絶する困難があると思う。
まずは良質な材料となる玉鋼づくり、これは“たたら製鉄”という日本古来の製法で、三日3晩かけてゆっくりと育てられるように製造される。純度の高い良質な玉鋼は、刀鍛冶によって、火で赤く熱しては鎚で叩きを繰り返し鍛錬することで、不純物が火の粉となり、さらに純度を増していく。
形が出来上がると刀工たちは、『魂を入れる』といって焼き入れをする。ご神体になるような神聖な剣を作ることは、人と自然と神様への祈りが合わる“心・技・体”が必要である。刀工は神に成り代わって、神の手足となって刀を作るという意識が芽生えてくる。日々、正しくあり、善くあり、美しくあろうと心掛けるという。
この日本刀を作る時の精神や魂が、時代を経るに従って、日本のモノづくりDNAに組み込まれていったと考えられる。アジア諸国では、刀鍛冶のような職人の社会的地位は低く、職人の名前が残っていることはほとんどない。しかし、日本では、数多くの刀工職人の名前が残っている。先の三条宗近は京都・鍛冶神社に祭られている。本当に神様になってしまった。
現代の名刀工、河内國平氏は500年前の鎌倉時代の名刀を再現した。日本刀の世界では、鎌倉時代のものが最高といわれており、今までは同等のモノを作ることができなかった。現在の玉鋼では再現不可能といわれていた。河内氏は、500年ぶりに、古刀の特徴である地紋の“乱れ移り”を再現した現代の名刀工である。
彼は、刀づくりは理屈ではない、職人は仕事をすること、考えている間は仕事をしていない、手を動かすこと、仕事をすることで、生まれてくるものが成果であるといっている。
モノづくりに身を置くものとして、大いに共感するところである。もちろん職人も、もっとよくなるにはどうしたらよいか、つねに考えている。しかし、体を動かさなければ、わからないこともたくさんあるのだ。
以前、行政の人が、商業の人とお酒を飲むと遊びの話、工業の人と飲むと仕事の話になる。工業の人は誠実な人が多いと言っていた。私も先輩職人の方々から多くを学んできたが、誠実な人が多いことは間違いないだろう。
ある人は、額に汗したことで手にできる以外のお金はいらないという。見積もりした金額より安くできた、といって単価を下げてくれることもよくある。逆に見積もり間違いをしても、単価を上げてくれとは言わない。仕事への矜持を感じる。
旋盤職人の父は良いものを作ろうと思わないとよいものはできないという。道具や機械を擬人化して大切に扱う姿もよく見かける。ペアで使用する治工具の片方がなくなると、後家さんにしてしまったと嘆く。次の工程や使う人のことを考えて作れとよく指導された。
職人の働く姿は、日々の仕事を通して自己を鍛錬しているように感じる時がある。日本のモノづくりには‘鍛錬をしてよりよいものをつくっていく’という精神が組み込まれていると思う。ちなみに、日本刀をつくる過程で、何回も火に入れて叩くことから、鍛錬という言葉が生まれた。‘鍛’は‘千’という意味があり、‘錬’という字には‘万’という意味がある。鍛錬のほかにも日本刀から生まれた言葉はたくさんある。日本刀と日本人は思っている以上に身近なのだ。
このモノづくり精神は、つくるときだけでなく、廃業する時も発揮される。廃棄する機械なのに、′いままでありがとう′という思いで、一所懸命に機械を磨く職人の姿を見ることがある。辞める時まで、機械や道具を慈しむ民族は、日本人だけではないか。
鍛錬する心、慈しむ心、この日本刀づくり由来のモノづくり精神が、日本の強みとなり、世界中でジャパンブランドが評価されていることに繋がっていると思う。日本刀づくりの精神、正しく、善く、美しく、そして鍛錬するモノづくり精神は、次世代に伝えるべき日本の強みである。