慢性病は西洋医学では治らない
表題は20年以上前に知人の医師から言われた言葉である。その当時は私も30歳前半と若いため何を言っているのか意味がよく解らなかった。しかし、『慢性病は西洋医学では治すことができないんだよ』という言葉は、医者がいう言葉ではないので強く印象に残っていた。
生来体が弱く健康には人一倍関心があったので様々な本やセミナーから学び、なるほど本当にその通りと思うようになってきた。
母の生前に持病の高血圧や糖尿病の診察を受けると、診察した医者は一生薬を飲むようにと言う。これは、母だけでなく多くの人が経験することであろうと思う。母は医者嫌いもあり全く薬を飲むことなく自宅で在宅医療・在宅介護をして天寿を全うした。母の看護で感じたことは薬や治療をせずとも意外に本人は苦しみがないものと解った。病院で管にまかれてつらい治療をするよりははるかに幸せだったと思う。最後の時は、父、私たち夫婦、娘(妹)、孫(私の子)たちに囲まれて旅立った。私としては初めて人の死に直面したが安らかだったので救われる思いがした。
薬を飲めば高血圧の数値、血糖値の数値など慢性病の異常値は一時的に下がる。飲まないと上がるので飲み続け、しばらくすると一粒が、二粒になり種類も増えていく。糖尿病は錠剤が効かなくなりインシュリンを打つ、それも日に日に打つ量が増えていき、やがては他の病気を併発してしまう、このような例は高血圧や糖尿病に限らず多く見られる事象である。
若いころから血圧が高く中年になったら高血圧の薬を飲むと決めていた人がいた。薬を飲み始めるとだんだん量や種類が増え、まもなく糖尿病を併発、糖尿病の薬も飲むようになった。その後、脳疾患なども患い病気のデパートのようになって苦しい晩年を送ることになった。似たような経路を辿る人の話はよく聞くことである。これでは、本当の治療とは呼べない。治療がかえって苦痛を与えてしまうことになっている。科学的治療というならば治療期間が終われば健康が回復している状態にならなければならない。数値を下げる治療や症状を抑えるだけ治療は本当の治療とは呼べないのではないだろうか。今のところ病気そのものをなくす治療は不可能に思える、病気と如何に付き合っていくかが課題である。
狐狸庵先生と称され読者に敬愛された作家遠藤周作氏の医療体験を妻である遠藤順子氏が『夫の宿題』という本で発表している。当時の遠藤周作氏は肝臓病と糖尿病を患っており、家族ぐるみでおつきあいのある主治医の治療を受けていた。しかし、腎機能の異常な低下があり腎臓病の専門医の診察を受けたところ人工透析を避けられないほど病状が進行していた事が判明する。主治医が出していた治療薬が腎臓に重篤な障害を及ぼす薬だったのである。主治医に腎臓専門医の所見を伝えたところ<見解の相違ですな>の一言でその後一切の連絡はないという。遠藤氏が飲んでいた薬はその後には厚生省が許可を取り消したそうだ。
しかし、遠藤周作氏の苦難はこれで終わりではない。腎臓病の治療でも更なる苦難が始まる。遠藤周作氏が亡くなってからこの医療は間違っている何かおかしい、もっと人間を尊重する医療があってしかるべきだという思いが『夫の宿題』という本の動機だと思われる。
カトリック信者で高い見識もあり各方面に多くの友人、知人を持つ遠藤周作氏でさえ間違った医療を選択してしまうのが今日の日本の現状である。われわれ一般庶民では正しい医療の選択などできるはずがない。現代医療自体が間違っていると考えられるところもある。現代医療は病気症状を見て患者そのものを見ていないように感じる。
遠藤氏が人工透析を始めてからアトピー的症状に苦しめられる。3年半も夜眠れないほどかゆみが襲うのだが、腎臓病専門医は人工透析の人は仕方ないのだという態度で親身な治療がなかった。たまたま、縁あって皮膚病の医師の診察を受けたところ薬害と分かり4種類の薬を変えたところ間もなくかゆみは消えていったそうだ。医者は患者の苦しみを汲み取るということができない人種なのではと思ってしまう。
患者の苦しみを取ってあげたいと真剣に思えば薬の副作用などはすぐにわかる事例のように思うのだが。交通事故などの緊急の医療は必要な部分もあるが、慢性病と言われる病気には西洋医学の治療はかえってマイナスになってしまうこともあるのではないだろうか。
1990年代に入って厚生省では慢性病を生活習慣病と呼ぶようになった。発病の主な原因が生活習慣による病気であることが呼び名を変えた理由ではないかと思う。薬を飲むのではなく生活習慣を変えることで病気症状の改善を促しているように感じる。
慢性病の原因の一つが生活習慣にあることは間違いない。自分の生活習慣に原因があり、現在の慢性病治療に限界があるのならば自分の力、自然治癒力を高めて問題を解決する方法が最善の策ではないだろうか。私はどんな心情を持っているのかわからない医者に自分の大切な命を預ける気にならない。やはり心から尊敬できる人に見てもらいたいと思う。
しかし、今の医療制度では医者の人間性まで見ることは不可能と思える。遠藤氏は生来病弱なため自分の健康についてもものすごく勉強していた。また、毎月の尿、血液検査もしていたのだ。それでも晩年に地獄のような苦しみを受けなければならなかった。
現代の常識だけでは解決しない問題だと思う。結局医学的治療をしようが治療を受けなかろうがどちらも何らかのリスクがある。どちらを選ぼうが自分が納得できるほうを選ぶしかないのだろう。
最近は、治療より養生のほうが良いのではなかろうかと思うようになってきた。特に慢性病は、治療よりその時々の体の状態や社会環境・生活環境に応じた養生が自分のライフスタイルに合っていると思う。病気症状は悪化作用ではなく免疫反応、好転反応だと考えられる。<すべての病気は、その経過のどの時期をとっても、程度の差こそあれ、その性質は回復過程である。つまり病気とは毒されたり衰えたりする過程を癒そうとする自然の努力の現れである>とかのナイチンゲールも言っている。
熱が出るのは菌やウィルスを死滅させるためである。下痢や嘔吐は体内に入った毒素を排泄する作用である。こう考えると気が楽になり余分な心配をしなくて済む。私には22歳から13歳まで4人の子供がいる。長男はわが社で一緒に働いている。この4人の子育てではほとんど医療にかからなかった。40度を超える熱が出ても、はしか・水疱瘡・おたふくかぜなどなど4人もいると次々に移っていくが、ほとんど自宅療養で対応して治まったころに診察してもらい診断書を学校や保育園に提出していた。病弱な私の子とは思えないほど4人とも健康で元気に育ってくれている。これから治療より養生でいきたいと思う。