東京都大田区のまち工場|株式会社タシロイーエル
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連載記事ARTICLE
ツールエンジニアリング2014年9月号

大田区町工場群

大田区は町工場が密集していることで有名である。図面を紙飛行機にして飛ばすとすぐに製品ができてくるなどと言われることもある。平成元年頃は10000社の町工場が点在していた。しかし、バブル崩壊に始まる失われた20年、そして、リーマンショック、東日本大震災、とどめに民主党時代の超円高と続き今では3000社を切ってしまったようだ。それでも街を歩けば町工場や作業着を着た人たちを見ることが多い街である。

当社から徒歩23分のところに第一研磨工業という研磨屋さんがある。平面研磨をメインにセンタレス研磨、円筒研磨を行っている。斉藤社長は国立大学工学部を卒業後、大手ベアリングメーカーで生産管理などを経験し、父親が創業した第一研磨を継ぐことになる。技術も解り、技能も習得している稀有な職人社長である。私も解らないことがあると教えを乞いに伺う。いつもその回答の見識の深さに驚かされ大変勉強になる。経営の糧にさせてもらっている。技術的なこと、技能のことから社会情勢まで何事においても適格である。斉藤社長が民主党時代の超円高で産業構造が変わるといっていた。今まさにその通りになり、空洞化の極致になっているように感じている。世間ではアベノミクスで、景気が良くなってきたと報道されることも多くなってきたが、製造業の現場からの感じは景気浮揚の気配は全く感じることができない。通常の景気回復時は生産基礎素材が動き出す。しかし、今回は生産基礎素材を生産しているメーカーの話では、生産が増えてこないとのことである。町工場を顧客にしている、材料屋さん・工具屋さんの情報からも仕事量が増えてきているという話が聞こえてこない。やはり、産業構造が変わってきているのだろう。我々町工場も、今までのやり方を変えていかなければならない時代になったようだ。現在残っている町工場は、様々な苦難・困難を乗り越えてきた優秀な工場が多いが、その優秀な工場でさえ受注に苦労しているのが現状である。少なくなったといっても、まだまだ大田区町工場は健在である。世界に誇れる町工場群がどのようにして創られていったのか。諸説あり、様々な要因があると思うが、江戸の伝統・義理人情に篤い街だったからではないかと思うところがある。

大田区の町工場には、伝統的な暗黙の制度と云えるのれん分け制度がある。明文化はされていない。町工場で働く職人が、一人前になり独立したい意志があると、町工場の多くのおやじ(経営者)は使用していた古い機械を無償で提供するのだ。そればかりではない、仕事もお得意さんもあげてしまう。時には、工場を借りるまで社内で独立させてしまうこともある。経営的に見れば、今までやってきた仕事をそのままあげるのだからマイナスになる。しかし、大局的に見れば地域が活性化するし、働く人の希望にもなる。

第一研磨工業は創業60年近くになる。その間に12名以上の職人が独立していった。そのたびに、機械と仕事・得意先を世話している。勤め人では購入が難しい大きな家を建てた人もいる。このようにして大田区の町工場が発展していったのだ。当社の取引仲間にもこのようなケースで独立した人が数名いる。その人たちも、それまで働いていた町工場と取引があり良好な関係が続いている。また、後継ぎのない町工場を、従業員がそのままその会社を受け継ぐ場合もある。このようなのれん分けは、世界的にはあまり見られないことではないだろうか。対立的独立はよく聞く話であるが、会社側が損してまで手助けをする風習は日本だけではないだろうか。

町工場のおやじたちは、あまり意識していないかもしれないが、渋沢栄一が提唱していた道徳と経済の融合が実践されていると感じる。もっと古くは近江商人の三方よしの精神と云える。また、二宮尊徳の報徳精神かもしれない。

リーマンショック直後に、派遣社員切りが社会問題になった。中には、住んでいた寮を追い出されホームレス状態に追い込まれた人もいた。マスコミも問題視し連日のように報道されていた。それまで同じ職場で、同じように働いていた人を簡単に切り捨ててしまう。次の勤め先が決まらず、住むところのない人を追い出してしまうのは、人としていかがなものかと思う。切った側は法律違反ではないという。法律に反していなければ、何をやってもよいと考える人が増えてきたのだろう。グローバル競争に晒されている業界ほど、その傾向が強いように感じる。しかし、法律を守ることは、人として最低限守らなければならないことで当たり前のことである。法律の前に、人として考えてやってはいけないことがあると思う。

派遣切りをした会社の多くは多額な内部留保金を持っていた。その当時でも、大企業の内部留保金は200兆円といわれていた。倒産の危機なら解雇も仕方ないと思うが、倒産の危機まで追い込まれた大企業は少ないのではないだろうか。100歩譲って首にしても住むところがない人を追い出さなくてもよいのではないだろうか。

第一研磨工業に勤めていた人が、病気で働けなくなったことがある。工場の上の寮で療養することになる。その間何回も倒れ救急車で運ばれた。引き取り先が見つかるまでの2年間を無償で世話をしていた。見返りなど求めない、人情に篤い行為であるなと深く感銘を受けた。人情は仏教でいう慈悲、儒教でいう仁と云える。町工場には、儒教精神を基にした武士道が脈々と流れている。そんな大田区の町工場が大好きなのだ。これ以上町工場が減らないことを祈るばかりである。

金融資本主義の現在は、弱肉強食の過当競争世界である。過当競争は社会を幸福にはできないシステムだと思う。世界平和の実現は、道徳と経済の融合を目指す会社が増えることではないかと考えるこの頃である。